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バドミントンのメモ

遊びについて

バドミントンが楽しいとか、楽しくないというような会話を時折することがありますが、楽しさとは何でしょうか。

どうすればより楽しいと思えるようになるのでしょうか。

答えのない質問ではありますが、これまでに多くの人がそのことについて考えています。

遊びの定義の一つとして、「ルールに従って行われる結果が予測できない競争」というものがあります。

特に大事なのは「結果が予測できない競争」というところだと思います。

勝つとわかっている試合であったり、必ず入るとわかっているストロークを続けるのは遊びには入らないことになります。

逆に失敗するとわかっている行為も遊びには入りません。

これらを考えると自分には制御しきれないリスクに対して、挑戦するというのが遊びの本質になるかと思います。

ストロークであればもっと早いカットを打つというルールを作って、グリップを変えたり、切り方を変えたり、インパクトを変えたりして、挑戦し続ければそれは遊びと言えるでしょう。

ぎりぎりのラインに挑戦している限り、自分の限界を超えるための何かをつかまないといけないわけですから、その場合は遊びは創造的な性質を持ちます。

なので、遊びには新しいものを考え、自分の世界を広げるという感覚が伴います。

もう1度定義に戻ると、遊びにはルールがあります。格闘技の強さはほとんどルールに決まってしまうことはよく知られていますが、遊びにとってルールがあることは重要です。

ルールなしに自由に振舞うことは一見楽しそうに見えますが、方向性が見えず、次第に苦痛になってきます。

創造性を持つのが遊びの性質と書きましたが、その逆の作用として縛りを入れることが逆説的に重要な役割を持っているわけです。

競技のルールを自分で変えることはできませんが、遊びのルールは自分で考えていいわけです。

スマッシュなしで練習しても自由ですし、ストロークは必ずフェイントを入れるというのも自由ですし、ミスは20球に1本に納めるというのも自由です。

ルールをうまく調整して、いかに結果が予測できない状況を作るかが大事になってきます。

ルールは基本的に自分自身の世界観によって制約されます。

ミスの例で言えば、「ミスがすくなれば勝てる」という暗黙の前提が頭にあるので、そういう遊びを始めたと考えられます。フェイントにしても、「フェイントは有効だ」という頭があるのでしょう。

いいか悪いかという話は置いておいて、遊びを楽しむためにはその世界観に共感できることが大事です。フェイントをするより強打が好きという人は上のルールで楽しめないでしょう。

これらの論をまとめると、遊びは以下の要素が大事です。

  • 結果が予測できないこと
  • ルールがあること
  • 創造的であること
  • 世界観に共感できること

最初の論題に戻って、どうすれば楽しいと思えるようになるかという話ですが、自分が楽しいと思うルールを作ってそれに全力で挑戦するということになると思います。

この環境でバドミントンをしていても楽しくないという話を聞きますが、本質的な問題は自分がどんなルールに従って、どういう課題に挑戦しているかにかかっているのではないかというのが自分の結論です。

それは練習でも、試合でも生活でも変わらないと思います。