Keep Moving

バドミントンのメモ

集中

集中力が有限ではないかという話は何度か書いていますが、その点については示唆があったので適当に考えます。

聞いた話はサッカー選手のトップ選手はほとんどボールを見ずに、ボールの位置を理解できるという話でした。

もちろん常にその能力を発揮できるわけではなく、ボールに足で触れていることが条件ですが、触れている限りボールがどう動くかはほぼわかるそうです。

だから、相手を抜くときは相手の重心だけを見ていて、どういう風にフェイントをするかだけを考えているとのことでした。

つまり、動きそれ自体にほとんど意識を持っておらず、イメージしたとおりに動ける体ということです。

また、「インナーゲーム」だと、人は批評家と無意識の2つの領域があって、運動では無意識に任せるのがよいというやりかたを書いています。

動きをイメージさえできれば、あとは自動的に動くのに任せるので「インナーゲーム」と呼びます。

自分の経験でも試合の中で考えることの範囲は少なくなってきている気がします。

以前は負けた後のことや周囲の期待などを考えることがありましたが、今は比較的勝敗に集中できている感覚はあります(常にではないですけど)。

勝敗にというのは勝つために何をすべきか、今何をすべきかだけを見ていて、それ以外の情報が入ってきていない状態ですね。

バドミントン以外でも集中すると、空間や時間が正しく認識できなることがありますが、集中した世界は対象がひたすら絞られているものなのだと思います。

もちろん視野を極限まで広くするタイプの集中もありますし、たった1つだけの目的を遂行するものもあるので難しいですが。

それらを考えると、自分という枠組みがなくなって、入り込んでいるような状態が1つの理想のモデルのような気がします。

そこを理想とするなら、常日頃から今何を考えていたか、どれだけ集中していたか、その動きにどれだけ意識を割かないといけないかを理解しないといけないことになります。

そうなるとメタ的に、外から自分を見るように把握する能力の高さが大事なのかなという結論に至ります。

谷亮子選手はこの能力が飛びぬけて高かったそうな。

そういう内的な部分について、今少し考えたいなと思っています(戦術、戦略レベルとは別に)。